2017年2月3日金曜日

心の準備は終わりがないから、まずはやると決めたわけだ

心の準備はいつまでたっても終わることがない。


だから【年末にド派手に公演をうとう】とまず決めた。
覚悟を決めたら、あとはやるだけだから
そこからの準備はタスクを減らすだけ。


もちろん
やるべきことは山ほどあるし
どんな山を登るかはこれから決めるわけだし
でも
決めたことでとてもワクワクしているので
良しとしよう。



次は柔道着で出るか決めてませんがε-(´∀`; )
リクエストがあればやるかもしれません。。。。



どんなキャラが見たいですかね。
今ならリクエストお受けします〜








鬼さん

鬼はどこから来るのかな?
ひとりかな?
グループかな?


鬼はどうして鬼になったんかな?
鬼の親も鬼かな?
その親の親も鬼かな?


鬼として生きるのは辛いのかな?
誇らしいと思えることもあるのかな?


鬼は強いのかな?
本当は弱いのかな?


鬼は私の中にもいるぞ

それは追い出せばいいのかな?
付き合い方を知ればいいのかな?




鬼は私の中にも
確かにいるぞ



2017年2月2日木曜日

見たことを思い出すだけで感情がひっぱりだされる

渋谷によく行ってたイタリアンのお店があって、
そこの店員(男子)がめっちゃタイプ。

3回くらい行ったころ「いつもありがとうございます♡」とかわゆく声をかけてくれ、そっちがその気ならこっちも、と「あれー、覚えててくれたんだ、うれしー」と猫なで声を出し、なんやかんやでメアドをゲット。

後日めでたく飲みに行き、酔った勢いで乗り込んだ彼の家があったのが、下北沢でした。



(遠い目。。。。。)



大好きな俳優さんを劇場の外で出待ちしたのも下北。
片思いの人とランチをしたけど顔に見とれすぎて味が分からなかったのも下北。
CUTIEというオサレ雑誌片手に古着屋さんを回ったのも下北。


私の青春が詰まっている場所なんだわ、下北沢は。




さて。
おひさの下北沢に行ったのは講演会に参加するため。
【親子でつくる見たこと作文】著者の山口紀生先生のお話しを聞いてきました。



ご自身がどのようにして教育に携わるようになったか、小学校の国語教育がどのように進められているか、コミュニケーションとはなにか、を現場での経験を元に語ってくださいました。


独自のメソッドである「見たことを順番にかけば誰でも作文を書けるようになる」という【見たこと作文】。

子供たちが国語嫌い、作文嫌いを克服できるだけでなく、作文を書く過程を通して親子のコミュニケーションが活発になるという素晴らしいメソッドでした。



先生の言葉はどれも印象的だったのですが最も私の心に響いたのは「親が子供に「何が見えた?どんな形だった?」とシンプルに問いかけるだけで、しぜんとその時の感情も蘇ってくる。目にした場面をどう語るかに、気持ちが滲みでる」という言葉。




そうだよな。
同じ景色を見たって、その景色の中のどのポイントに着目するかは人によって全然違うし、何を見て何を感じたかにその人固有の感覚が現れるもんね。



わかり合っているつもりのふたりが同じ場所に居ても、全てを共有できるわけじゃない。
そこでそれぞれが何を見ているか、そしてどう感じているか。
それはその人独自のものだ。


実在するモノ、をどう見るかだけでなく、今という現状の中に「希望」を見出すか「不安」を見つけるか、で想像している世界の彩りは別のものになってしまう。



こういうすれ違い、分かり合えなさが、人と人との間にドラマをうむなと、思った。







そういえば。
仲良くなったイタリアンレストランの男の子は「実はあなたは元カノに似てるんだ。昔を思い出して辛い。。。。。」と言われ、撃沈したのでした。



私を通して、元カノを見てたのね。。。



下北沢の景色を見ていたら
昔のことを思い出したよー。










熱燗でもひっかけなきゃ、やってらんないわ〜。






















2017年2月1日水曜日

【月刊 関口満紀枝】2017年末に『まつり的な』公演やります!!


決めました。

本年2017年の年末。
これまでにないくらいPOPで、アゴが外れるほど笑えて、一年を笑顔で締めくくれる【祭り】みたいな公演をやります。


これまで応援してくださったファンの皆様には
「おぉ、さらに面白くなって帰ってきてくれた」
と再会に涙していただきたい。

出会ったばかりの人達は
「こんな面白い女たちを知らなかったなんて人生損してたーー」
とワナワナさせてたい。




場所や日程はこれから決めます。


その過程をひとつひとつ皆様と共有して、一緒にワクワクしていきたいと思います。



熱い年末になりそうだぜ。







2017年1月4日水曜日

2017年の目標→お声がかかる人になろう!

ぷにぷにした手がクリームパンみたいだね
とよーく言われる近藤です。


すっぴん、ジャージ。
サイゼリアで物思いにふけっております。





年頭って【今年の目標】みたいのを立てる人が多いよね。



私はこれにします。
『お声がかかる人になる!』



一緒に仕事をしようよ。
旨いものを出す店があるから一緒に行こう。
面白い企画があるから加わらない?
君に見せたいものがあるんだ、ちょっと近くへおいで(これはやばそうなヤツ)




近藤が加わったら
《面白くなりそう》《盛り上がりそう》《可能性が広がりそう》
そう思われるのに相応しい近藤にになろうと決めた。




私は体験してみて(それが心地よくても痛くても)、そこで感じたことを貪欲に掴んで吐き出すタイプ。
日々平穏なのはもちろんありがたいけど
いろんなことに挑戦して体感してそれを作品にしたいと思ってます。



刺激的なネタをお持ちの方
共有したい話がある方
近藤にやらせてみたら面白いことになりそうという期待をお持ちの方
遠慮なく声をかけてください。




話によっては断るかもしれませんが(爆)
まずは私に耳打ちしてください。



結果、出します!!







2017年1月3日火曜日

じゃ蕎麦でも打っておくか、という愛情表現


正月の宴。
締めくくりで手打ち蕎麦が出てきた。



我が父は昨年から蕎麦打ちに凝っている。
私が久々に帰ってくるということで、正月早々から打ったらしい。


本当はお節やらオードブルやらでお腹がいっぱいだったのだけれど
「蕎麦は食べて帰るのかなぁ。もうお腹いっぱいかな、ならいいんだけどね。でも今回はとても上手にできていると思うんだー」
って言われたらさ「いらない」とは言えないよね。


ということで
さっぱりざる蕎麦にしていただきました。



やるな、父。
回数を重ねるごとにうまくなっている。




こういうの、なんか胸を打つよーーーー。



言うことはけっこう手厳しい父だけど、それは図星だからだもんね。



甘くてただ優しい手触りの言葉をかけてくれるんじゃなくて
「うまいものを食べさせてやりたいから蕎麦を打っただけ」みたいなことされるとさ
ずるいな、って思う。


態度で示すっていうか
行動で表すっていうか。


思ってくれてるってことだもんね。
楽しみにしていてくれてたってことだもんね。




私は言葉を扱う仕事をしているけれど
大事なことを伝えるときこそ
言葉で表現する、ということ以外の方法が
響くんだろうなぁと思う。




「あと5秒茹でるんだよぉ?」
「氷水は準備できた?」
「こっちに置いた方が水切りしやすいんじゃない?」
「違う違う、それはここ」
小競り合いをしながら狭い台所で蕎麦を茹でている両親を見て
微笑ましくていいなぁと思った。



何気ない日常の中にこそ
幸せってあるんだな。


そういうことを
描いていきたいな。







2017年1月2日月曜日

日本のことをどれだけ知っているだろうか??



1月2日。
穏やかな日差しに恵まれた午後。
皇居に出かけた。


一般参賀に参列するためだったんだけど
残念ながら受付時間に間に合わず。

せっかくなのでせめて近くまで、と思って進むと
二重橋にはたくさんの人、人、人。


「あぁ、あんなにたくさんの人が集まってきたんだな」と思ったら
なんだか分からないけど、安心した。


お堀の周りをのんびり散歩しながら思う。
さっき感じた安心感って、何だろうって。

そこから、いろんなことを数珠繋ぎに考える。




はじめて一般参賀に行ったのは去年。

テレビ画面ごしではない天皇陛下のお姿を認めた
「あぁ、私はこの御方に守られているんだな」と感じた。


もちろん、天皇陛下が日々国民のために祈ってくださっていることは
知識として知ってはいたが
去年感じた「守られている」という感情はしぜんと湧き上がってきたもので
知識や理屈といったものを超えていた。





でもさ、と自分に対して言葉を続ける。


天皇陛下について何を知ってる?
日本について、何を語れる?
祖国である日本についてどれほど言葉を尽くせる?



途端に自信がなくなった。



自分の国のことなのにな。
自分自身のことばかりにとらわれて
その自分が立つ日本という国について
あまりにも関心がなかったな、と。



政治にも明るくないし
この国の成り立ちについてもぼんやりとしか話せない。



これって、恥ずかしいな。
そして、なんだか申し訳ないなと思った。


もっと知ろう。
もっと学ぼう。
もっと語ろう。


それが守られていることへの恩返しになると思った。





新年に、こういうことを考えられたのは良かったな。
一般参賀には間に合わなかったけど
そのおかげでいろんなことをじっくり考える機会に恵まれた。




もっと知ろう。
もっと学ぼう。
もっと語ろう。









2017年1月1日日曜日

2017年初日から父の一言が刺さりました。

母がいけた花、父の手描き(蛍光ペン)の”賀正”。


手作り感溢れるおもてなしに心が和みました。



実家で過ごす元旦。
食べて飲んでしゃべって笑って。
楽しく過ごしていたところへ、突然、父が一言。


「やりたいことをやれているよね。羨ましいよー。友人も応援してくれているんでしょ?我ら家族も反対していないし、好きなようにすればいいと思っているしね。夫や子供もいない。何にも縛られていない。才能もある。なのに、充分な結果が出ていないよね。
なんでかね。
それはねー、ただただ努力が、圧倒的な努力が足りていないと、思っていたよ。」



わお。
いきなりの一撃。


しかも「思ったよ」ではなく「思っていた」と。

(そか。ずっと思ってたか、、、)



さらに続きます。



「全ての条件が整ってるんだから、あとはやればいいだけだよねー。今年こそやってねー。」

ニコニコして言い放つ父。



はいっ。やります。私もそろそろかなー、って思ってたんで。





家族の力は偉大です。
遠慮なし、直球。


それは愛なのだ。
愛には最大級の喜びで
お返ししたい。





遊ぶように、楽しみながら
いい作品を創りたいです。



やったるで❗️







2016年10月21日金曜日

柔道と仕事、心がけていることは同じ。

日々の稽古で心がけているのは
【どんな状況でも、イメージした通りに身体が動かせるかどうか】

技を知ってるだけではダメ。
美しく正しく、そして何度繰り返しても同じように出来るか。

体の隅々まで、意識が行き渡っているか。


稽古の段階で出来ていないと
乱取り(試合)になった時、技が出ないから。



これは柔道だけに限ったことではない。
仕事でも同じことが言える。


いつでも、どんな時でも同じクオリティで出来るか。
隅々まで配慮できているか。
日々、技術や知識に磨きをかけているか。


普段から出来ていないと
いざという時に力を発揮できない。




道場の片隅で
パソコンを叩きながら、
昨夜の稽古の名残りを
身体中の筋肉痛から感じつつ
次の稽古が待ち遠しくてうずうずする。





ポーカーフェイスを装いながら
「私ならここで奥襟持つんだけどな〜」
「あ、あのタイミングで足技!上手いなぁ」
とか、研究してる。


それを稽古で試したい。



日頃から備えてるから
実践を楽しめる。


柔道も仕事も、同じ。













。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

【日本すっぴん女子柔道同好会】を立ち上げました。

柔道が好き
柔道に挑戦してみたい
好きなこと(柔道)を語り合える仲間が欲しい
柔道で人と繋がりたい
柔道の良さを広めたい

という女性が集まってみんなで柔道を楽しもうよ、という同好会です。




これから仲間を増やしていきます。
2020年東京オリンピックまでに全国に支部を立ち上げます。



2016年中に、まずは東京で週1くらいの集まりをはじめたいと思っています。





ご興味のある方はご一報ください!
contomo☆me.com
(☆を@にかえてね)




2016年10月20日木曜日

SNSに投稿する時は、大切な人に手紙を書くように綴りたい

Facebookに投稿する
ブログを書く


その時は大切な人に手紙を送るように書くのがいい


対象がぶれていると
何を言いたいのかわからなくなるから。


全ての人にとって心地のいい正しい文章
というのは存在しない
誰が読んでも間違いないなく伝わる文章
というのもないだろう



言葉ひとつにしても
解釈は様々だから
受け取り手の容量次第で
伝えたいことがどれほど伝わるか、その量に違いはあるだろう



だからと言って
伝えたいことはしっかり言葉を選んで届けなければ
自分の中にある思いをちゃんと形にしなければ
お互いの距離は縮まらない


言わなくてもわかる
伝えなくてもわかる
というのは怠慢でしかないからだ



じゃ、伝えたければなんでも言葉にしてもいいか
というとそれも違う。


時々、Facebookの投稿に対するコメントで
わざわざその人を中傷するような言葉を残している人がいるけれど
そういう文章をみると「この人、品がないな」と思う。



人の敷地に土足で入ってきて
わざわざ相手が好まないことをして帰る


構ってほしいだけなのだろうが
それをすることでされた方がどう感じるか考えないのだろうか、と疑問に思ってしまう。




言葉には力がある。
人の心を温めることもできれば
暗闇に突き飛ばすようなこともできる。




大切な人へ手紙を書くように綴れば
投げっぱなし、相手のことは考えない
そんな表現にはならないはずだ




品のない手紙には
返事をしない、という態度を示すことにしている。




戯曲を書いたり、作詞をしたりする者としては
”言葉”に敬意を表して丁寧に取り扱いたいと思う。