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終わりをみすえたはじまり

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間もなく本番を迎える。舞台とかライブ本番前のシンとした空間に身を置くのが好き。


このライブのために編んだ詩。 CIfaが奏でたメロデーに刺激され、書き下ろした歌詞。 新たな出会いで生まれた、藤山周さんのギターとのコラボ。


どんな風にお客様に届くのか、その瞬間が待ち遠しい。



ライブはその時一回限りの”化学反応”がある。 お客様の表情や息遣い、姿勢などが目に入ると、「意識しないように。。。。」と考えながらもおおいに影響を受ける。

それが良いとか悪い、とかではなく、 受けた波動をどう取り込んでお返しするかが【表現】なのだと思う。



いま心を整えている。
あと数時間もすれば今日限りのステージが終わる。 それをみすえて、はじめる。

終わりを見すえたはじまり。 この時間の緊張感が心地いい。







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あなたのその話、【自己証明】ではありませんか??

目の前にいて、会話を交わしていても、いっこうに話が伝わってこないと感じる相手がいる。こちらの受け取り方が浅いのかもしれないが、熱を持って話してくれているにも関わらず なぜか言葉が耳に入ってこない。 記憶に留めることができない。



(なぜだろう。穏やかだし、押し付けがましいところもないし、言葉遣いも丁寧でけして嫌な印象はないのだけれど)



そう思いながら聞くが、なんというかしっくりこないというか、違和感がなくならない。 そういう人がいる。



後からじっくり考察したのだけれど


・「世界に届けたい」「来年までに1万人に知ってもらいたい」とかいちいち話の規模が大きい。 ・「世の中を変えたい」「人を救いたい」など漠然としている。


など、【突っ込みを入れにくい良い感じの話】をしたがる人や


・聞いてもいないのに、自分の話ばかりする。 ・いつの間にか得意な話題にすり替えていく。

など、【自分の話をするために】私に意見や感想を求めたりする人だったりする。



目標を立てるのはいい。 その目標が大きい、実現するのが困難、その方がやる気も湧くしやりがいを感じられるのかもしれない。 自分の話を聞いてほしい、という情熱や積極性を持って人と接する姿勢も時には必要だ。



だがその裏に 《こんなこと考えている私って素敵でしょ?》 《私のやっていることはいろんな人の役に立ってるの、すごいでしょ?》 という、自己証明のかほりがすると、聞かされている方はとてもしんどい。



テクニックで「人当たりよく」していても 「私をわかって」という本心はエネルギーとなって押し寄せてくる。



話が下手でも 社交性に欠けていても 計画を立てるのが苦手でも


自分のやっていることに誇りを持ち、実直にこつこつと目の前のことに取り組む、地に足がついている人の姿勢にこそ説得力を感じるし、頼まれなくても関わりたい、と思う。




私はブライダルMCの仕事をしているので 「いい感じのフレーズに置き換える」「印象良く思ってもらえる話し方をする」というのは得意だけど それがテクニックのみ、にならないように注意している。



私の目の前の人に話が届いていないと感じたら

話を大きくしていないか? テクニックでしゃべっていないか? 自分の都合に相手を引き込んでいないか?

我が身を振り返りたい。


違和感を感じさせる人が目の前に現れたら 自分を調整するタイミングがきたサイン、だと思おう。



日々、我が身の状態を確認しておきたい。













私は発電する。そして「照らす人」になる。

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私はスポットライトを浴びるより「照らす人」になりたいと思う。その為に、いろんなものを取り込んで原料にして、どんどんと燃えたっていきたい。発電してその力で人を照らす。
ある人の意外な一面とか、忘れられがちな気持ちとか、可能性とか、ささやかな工夫とかに目を向け、それを世界に知らしめることができるような人になりたいな、と。あと、迷った時の道標にも。
私はいつでもさりげなく側にいてそっと道を照らす。ふいに、心細くなったり迷ったりしたら、その人の目を眩ませないくらいの柔らかい光を放って、自分を取り戻せるようにしてあげる。本来持っている力を再び発揮できるように。そのために、私は私自身にエネルギーを送って光を作り出す。自家発電。エネルギーの元はなんだろう。「好き」という気持ちか。いや、どうだろう。対象となるものを好きな気持ち、ではなく「それを好きだと言える自分が好き」ということなのかもしれない。それがエネルギーになるのかも。
ま、とにかく。あとは闇とどう付き合うかだ。発光すると必ず闇を作り出すことになる。その闇をどう扱うか。ものごとは表裏一体だから。

親の気持ちは子供を産まないと分からない?

私は子供を産んだ経験はないが 私の頭の中にしかなかったものが 人との繋がりの中でこの世で形を持つ その瞬間を目の当たりにすると 「うまれでた」と感じる
私の力だけではないからだろうな。


自分の作品を「私の子供」と言うつもりはないが いろんな偶然を超えて生まれ出たものを 誇りに思う気持ちはとても強い



ある時、「あなたも子供を産んでみたらわかる」という主旨のことを言われた。 そこには「産んでみないと分からないことがある」というメッセージが含まれていると思った。

産む、という選択をしないのか 産みたいけど産めないのか 子供を授かる環境にないのか

私がどんな状況にあるかを想像をして言っているとは 思えなかった。



「産んでみないと分からない」という言葉に対しては 「そりゃそうだよね。体験したからこそわかることってあるよね」という気持ちと 「体験したからわかる、と言い切るのはちょっと傲慢なんじゃないか?」という気持ちの両方が寄せてくる。


親の気持ちは子供を産んでみないと分からないかもしれないけれど 「体験しないと分からないこともある」という言い方に対しては感じた、違和感みたいなものは もっと掘り下げてみたいと思っている。















心は揺らぐ。揺らぎながらもどう在るかが肝。

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強い光のもとでは、輝きは増すし影は濃くなる。 光の当たるところを見ると「うわー、陽炎が出てるー。太陽が真上から照りつけるこの時間帯はおとなしく部屋の中で過ごす方がいいわね。外に出ても日焼けするし。木陰で三ツ矢サイダーでも飲みながら寛ぎたいわぁ」と心の中でつぶやきながら、ちょっとずつ晴れやかでワクワクする心持ちになったし、影の方に視点を移すと、黒く塗りつぶされたようなタイルに目が止まり、【できればなかったことにしたい、昔のあんな事こんな事】むくむくとが立ち上がり、気持ちがどんよりした。
太陽から逃れるように涼しい店内に逃げ込み、ぴりりと辛味の効いたおろし蕎麦を啜りながら窓の外を眺めていた。四角く切り取られた景色を見ながら何を考えるでもなくぼんやりしていたのだけれど、光の部分を見ていた時間と、影に目をやった後の時間では、頭の中をよぎる映像も心の状態も、全然違った。
何気ない風景や状況も、どこに視点を合わせるかで感じる事や思う事が変わり、瞬時に心は移ろうのだな。
どの気持ちでいるのが良い、ということはないが、心というものは色んなことに影響を受け、形を変えてしまうのだということを再認識した。
揺らぐ心とどう付き合うか、訓練あるのみ。
何かを見て、誰かに何かを言われて、心がぐらぐら揺れたとしても「ふむふむ、今そういう気持ちなんだな」とか「あー、そこに目がいくのか、それってあの頃の私の視点と似てるよね」とか「なんかモヤモヤするよねー。なんとなくだけどね」とか、距離を置いてただ眺める、という練習を毎日のようにしている。「どう思ったって、どう感じたっていいよ」って突き放して見る、という練習。
こういうのって”毎日の練習”にしないと、すぐ元の通りに戻っちゃうんだよね。元の通りってどういう状態かというと「大人になろう」「いい人になろう」として、感情をむりやり捻じ曲げてコントロールしようとする、っていう状態。ポジティブっぽい感情は許すけど、後悔・妬み・嫉み・怒り・悲しみ、とかの心の動きを「悪者」にして退治したり追放したり無視しようとしたりしちゃうってこと。
思うことはしょうがない。だっていろんな刺激に影響を受けて、思ってしまう、んだから。「悪者」の感情が出てきても、しょうがない。だって、思ってしまう、んだから。だって嫌なことは嫌だし、ムカつく時はムカつくじゃん。
慣れないうちはどうしても「いい方へ」って…

【足りない】んじゃなく【もう全部ある】という前提からはじめる

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なにが足りなくて、何を求めていたのか?
「足りない」という前提で動いていた時は、どこに向かってなにを取りにいこうとしているのかつかめなくて、やみくもに歩いて疲労困憊。 「もうすべてある」というところからはじめれば、その先は未知を楽しむだけ。
どこかへ行こうとしないで
自分に還ってくればいい
悩むこともある 考えが寄せてはかえり、なかなか結論がでない時もある

そんな時こそ、足元を見つめればいい。 「ない」と思い込んでいた時に見えなかったものが、見てくることがある。

世界は優しい。私が見たいものを見せてくれてる。

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道端に咲く椿が美しいのは、ただ咲いているから。
どんな風に見られるか期待して振舞わないから。 咲こうという意思を持って咲くのではないから。 咲くことを目標にしてそこに立っているのではないから。 完璧を求めて努力を重ねているわけではないから。 ただただ、咲いている。 ただそこにある。 それにハッとして目が止まる。 そこにいろんなものを投影させてくれる。
。 。 。 。 。 。 これまで”挑戦しない理由”を作り出してきた。 ごちゃごちゃと、行く手を自分自身で阻んできた。 まずはこの雑然とした部屋を片付けてから。まずはこのメールを一本返信してから。まずは仕事に必要な資料に目を通してからから。まずは今の仕事をやめるか続けるか決めてから。 まずはきちんと準備を整えてから。。。。。 日常の些細なことから、人生を左右する(と思い込める)ことまでをちりばめて、まずはまずはまずはと言い続けてきた。 誰のためでもなく自分がやりたいことをやるのに、どうしても一歩が出ない。 ずっとやりたいと思ってできなかったことに挑戦する、というのはとても怖い。 やりたいと思いながらできなかったのは、結果が出てしまうのが嫌だったからだ。
結果が出てしまったら、それが望まない結果になってしまったら、夢が破れたことになる。才能がないことになる。 いろんな言い訳を作り出しては、本当にやりたいことに着手するのを回避してきた。 怯えて、恐れて、怖気づいて、やらないでいることは自分が一番よくわかっている。 本当はやれない理由なんてない。 やらないだけだ。 自分に対して何度も「いつやるの?」「まだ始めないの?」「何を怖がっているの?」と問いかけても、膝を抱えてじっとしている自分がいる。 びびってんだね。 失敗したら恥ずかしいと思ってるのだね。 そんな時、世界は優しい。 私に必要で私では実現できなかったことを起こしてくれる。 「こないだ言ってたあれ、どうした?」 「このままだと、はっきりいって”言うだけ番長”になっちゃうよ」 「ずいぶんのんびりしているように見えるけど。もうやめちゃったの?」 自分で自分にこういう言葉を投げても言うことを聞かないので、他の人が言ってくれるのだ。 それも同時期に。いろんな場面で。それぞれの調子で。
刺さりますねー。その人に刺す意思がなくても、勝手に打ちのめされますね。一番言われたくないことを一番言われたくないタイミングで言われる、というやつですね。 母「お風呂入っ…

”自分”を主語にして生きているか??

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ちゃんと”自分”を主語にして生きているか? 誰かに気に入られるために動いていないか? 親の言う通りに進もうとしていないか? 他人の後ろに隠れて吠えていないか? 何かに反対することで自分を立てていないか? 判断基準を外においていないか? 許可を得てから動こうとしていないか? 学んでから、ちゃんと準備できてから、と言い訳していないか? これは誰の人生なんだ?これは、誰の、人生なんだ?! そう自分に問いかければ、たいがいの迷いから覚めることができる。


※写真は近藤が婚活をしていた時のもの。少しでも良く見せようせめて平均点を出そう、とあがいていた時の私です。もちろんひとつも成就しませんでした。なぜなら、私が全て断っていたから。自分じゃない成りをして、人と繋がることはできません。嘘っぱちはあかん。

なにげなくやり続けてきたことにヒントがある!

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無意識で、それを続けたいという気持ちがあるんだ、きっと。 その理由は楽しいから、かもしれないし、得意だから、かもしれないけれど【それをすることが当たり前すぎて】気づかない、ヒントがあるのだ。
人から言われることを聞きすぎたり、顔色を見るくせばかりが身について”自分の好きなものがわからない”という人は何気なくやり続けてきたことはなにか?をもう一回考えてみるといいと思う。
野菜は干した方が味が凝縮されて美味いとか、日持ちがするとか、経験則で繰り返されたことの中にヒントがあるようにね。

”君の膵臓をたべたい”が教えてくれた、いまここにいるという奇跡

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作者のデビュー作らしい。
人物が物語の中で皆んなちゃんと生きていて臨場感があった。 文体は読みやすいし、キャラクターもいきいきとしている。 早く結末を知りたいような、読んだら終わっちゃうからじわじわ進みたいような、どっちつかずの気持ちになれたのが、心地よかった。



いまここに生きているということの奇跡。 人と触れ合うことでしか人は成長できないという真実。 自分の人生をきちんと引き受けるという覚悟の大切さ。



久々にいい読書体験だったな。 真夜中に号泣〜(T ^ T)




そういえば思い出した。

中学1年生の時、半年間ほど無視されてたんだけど その時助けてくれたのが本だった。

いじめられてた、というのではなく ただただ誰も私に話しかけてこない という静かな拒絶。


きつかったなー。 誰とも話せない、というのは。


そのキツさを忘れさせてくれたのは、 本を読んで感じた喜び、発見、楽しさだった。 登場人物たちに自分を重ねたり、会話をしたり、描かれていたエピソードを自分も体験した気持ちになったりして、黙っていたけど私の中は賑やかだった。


その楽しさを分かち合えなかったのは寂しかったけど 本の中に描かれた物語が私を救ってくれた。




そういう体験があったから、私は物語を作る人になったのだ。 最近、ちょっと忘れていたことを この本が思い出させてくれた。


本当に、素晴らしい読書体験だった。










いま私は物語世界から元に戻り 【近藤智子の人生】の只中にいるわけだが、 自分の姿を俯瞰で見ているような気持ちになっている。



ドローンで空中に飛んで見下ろしているような感じ。 何を考えて、どう決断して(もしくは決断できなくて迷いながら)どこへ向かうか、音も立てずに見守っている感じ。


明日なにが起こるかわからない。 どんな人と出会うかわからない。 興味がどこへ向くのか知らない。
こうして文章を書いているその1秒後には、思いもよらない事態に陥るかもしれない。



次がある。 明日は来る。 あの人とはいつでも会える。

そんなこと なんの保証もない。 これは脅しではなく、ただの事実。

心の底から楽しんでいる人の姿を見ると、涙が出てしまうのは何故だろう

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「あぁ、この人、いま心の底から楽しんでいるな」という人を見ると、なんだかそれだけで感動してしまう。

それはきっと、その人が感じている喜びや発見や魂の震えが電波してくるからじゃないか。



その人が「いますっごく楽しい。充実してます」なんて言葉で言わなくても、顔つきから、まとっている空気から、身体からほとばしるリズムから、それを感じられると、その姿を見るだけでこっちの心も踊る。


その人はけして、楽しんでいる姿をみせよう、と思ってそこにいる訳ではない。 本人がただ楽しくて、それが勝手に周りに伝わって、それを受け取った人がそれぞれに心を震わせるのだ。

それを仕事にしているとか、有名だとか無名だとか、資格があるとかないとか関係なしに、私は【自分がやっていることがとても好きで、それに関わっているだけでものすごく満ち足りて幸せ】というのが全身から溢れちゃっている人が、好き。


私はそういう人と一緒にものづくりしたいし、そういう人で在りたい。



9/30のライブを一緒に作っているCifaも、私がそう感じる人。 同じ空間に立てるのが今から待ち遠しいです。








ライブの詳細はこちら♡ goo.gl/m0wS9M

夢を叶えるのに才能はいらないのです

才能がない。センスがない。 時間がない。 自分には向いてない。

そう言ってるのは、余裕がある人。

本当に叶えようと思っている人は、まず行動する。 何かを叶えるためには自分を信じることが必要だし、信じる続けるためには行動を積み重ねることしかないと知ってるから。



もしかしたら、叶えたいと思っていないのかもしれない。 叶わない方がいいと思っているのかもしれない。 達成してしまうのが怖いのかもしれない。


私はそう思っていた。 でもそれは言い訳だった。



才能がない、と思うなら人より1回でも多くやればいい。 センスがない、と退くなら人より1つでも多くの作品に触れて感覚を磨けばいい。 時間がない、を理由にするなら今の自分の時間の使い方を見直して、無駄を省けばいい。 自分には向いていない、と言うなら何が好きかどんなことなら熱中できるかじっくり自分に問いかければいい。



要はそれから逃げているだけ。


行動をすれば 継続すれば 夢は目標にかわる。


シンプルだ。

シンプルは強い。




私は心も身体もタフにしていきたい。
















いちいち許可取らなくていいんだよ

はじめたい!と思った時が始め時 行くぞ!と思った時が行き時


それをいちいち 「親はどう思うかな?」 「同僚から何か言われるかな?」 「イメージと違う、かな?」

と二の足踏んでたら、【お!!これやったら楽しそう。よっしゃ】というエネルギーが半減してしまう。



湧き上がるパッションを大事にしよう。 誰の許可もいらないんだから。




ブログで体験記を書いたら、距離を越えて繋がった!

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私がこうして毎日ブログを書き続けているのは、名前も存在も知らない人(知人でも友達でもない人)が私のブログを見てわざわざ会いに来てくれる、ということが起き始めているからです。

これって衝撃。 私が好き勝手書いていた記事。



近藤智子40歳。黒帯取得への道! |


子供の頃から柔道をやって、学校でも柔道部、町道場にも通い、名門大学でさらに柔道を続けている(続けてきた)人からすると


初段を取得するのなんて序の口



であり、その過程をわざわざ書く必要はない(つうか、いちいち書いているのは私ぐらい)


それを何でやったかというと「書かずにいられないくらいキツかった」というのと「その分達成感がはんぱなかった」という両方があり、今では柔道に出会わなかった
人生はそうとう味気ないだろうな。というくらい毎日に張り合いがある。


ただただその気持ちを伝えたくてブログを書いていたのだが、その記事のおかげで「こんともさんに会いたくて」「あ!あのこんともさんですね」とわざわざ連絡をくれる人が出てきたんですよぉ〜〜〜〜♪( ´θ`)ノ




これってすごい。
遠くから、わざわざ、来てくれるんですよ。



しかも。皆さん純粋に柔道が好き、柔道をやりたい、柔道について語り合いたい。

ただそれだけのシンプルなエネルギーなんですよ。
心地よいったらない。


もっと繋がりたいから、もっと楽しみたいから、これからも書こうと思います。


みんな、会いに来てねっ








【2016年9月30日 (金)19:00〜】シンガーCifaとこんともの《うまみ》たっぷりライブ、やります!!

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ライブ、やりますっ。



私こんともは、構成作家&作詞家としても活動しております。


柔道をやっているのは【身体を鍛えたいから】というよりも「身体と向き合うことで心を整え、頭をすっきりさせ、創作意欲を向上させる」という目的があるー。

さらに。 失敗を恐れず、いつでも新しいことに貪欲に挑戦する!という訓練も兼ねています。

道場で培った体感覚は、きっとライブでも活かされるはずっっっ。


ライブの後は、ちょこっと飲んでおしゃべりして、という時間も作りたいなぁと思ってます。 久しぶりにお会いするあの人この人、語り合いましょう! 最近仲良くなったあなたも、ぜひお話ししませう。 初めましての方にもご挨拶したいな。











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愛を歌うシンガーCifaと、人生を綴る作詞家こんどうともこのコラボLive〜

昭和・平成の世に彩りを添えた名曲カバーやCifaオリジナルソングなどを通して「人生のうまみを味わい尽くす」そんな夜をお届けします。 傍に酒とおしゃべりを添えて。

シンガー  Cifa公式HPはこちら☆




2016年9月30日(金)
【open】18:00〜 【start】19:00〜 【場所】アトムCSビル  〒105-0004 東京都  港区新橋4-31-5

前売り 3,500円(税込)ワンドリンク付き 当日 4,000円(税込)


ご予約、ご質問はこんともへメッセージ下さーい。